前回愚痴った続き。もう遠慮無く書いちゃう。
『パッパパラダイス』のホーンの取り扱いについてルーツを辿るのは難しいと言ったが、実際はドゥーワップの方もかなり難しいのよ。
ドゥーワップっていうジャンル、サウンド自体が勃興したのは1950年代のアメリカなんだけど、実際に多く認知されたのは1960年代〜70年代に“ドゥーワップのサウンドを取り入れた”後発のミュージシャンなりグループだったりするのよね。そこが話をややこしくする。
実際、“ドゥーワップ”の日本語版Wikipediaを読んでも、そこまで知名度の高いグループや楽曲は見当たらない。Wikipediaの執筆者もそこらへんにこだわりがあるのか、後発の、この時代の“元祖”ドゥーワップ・グループから影響を受けて大ヒットした人たちに対してはやや冷たい。音楽史的にはその態度で正しいのだけどもね。
ある特定のサウンドを代表する有名人と実際にそのサウンドを作り上げた人たちが“ズレる”のは往々にしてある。1950年代のロックン・ロール・ヒーローの頂点は一も二もなくエルヴィス・プレスリーだけど(『Animato』の歌詞に出てくる彼ね)、じゃあ彼がロックンロールの創造主かというと全くそんな事はなく、先輩たちのサウンドを踏襲するのが基本だった。黒人が作り上げたものを白人が売る…ロックンロールの歴史を紐解くとそんな構図が思い浮かぶのだけど、ドゥーワップにも、同じ時代の音楽だけあって(相互に影響を与え合ってるしね)、似たような雰囲気が漂っている。
そもそも、宇多田ヒカルが特定のジャンルのサウンドを大体そのまま自曲に取り入れるという事自体が珍しい。全く無いという事もないのだけど、ここまであからさまなのは初めてだ。そこの意図をどう汲むか、なんだよね。
前回も少し触れたけど、聴けば聴くほど『パッパパラダイス』のサウンドはちびまる子ちゃん本編の舞台設定である1970年代のそれより“古い”。それも確り1950年代まで遡ってる節がある。ルーツまでね。綾鷹とのダブルタイアップもあって、ちびまる子ちゃんのエンディング・テーマ曲として“だけではない”『パッパパラダイス』の特質についてもう少し深掘りしないと見えてこないんだけど、TVバージョンの90秒を何度聴き返してもその度に翻弄されるばかりでなかなか見通しが立たないんだよね。(溜息)
本来ならこういうあからさまなオマージュに溢れた楽曲はややこしいこと考えずに笑って楽しむのがいちばんなんだけどね。ヒカルもそれを願ってるだろうし。ただ、そのヒカルのコメントの熱量よな。新劇版エヴァの主題歌3曲を手掛けた時と変わらないその真剣さに触れるにつけ、どうしたってその入り組んだ意図を汲み取りたい衝動に駆られてしまう。当方、なんとかいいアプローチはないものかと、日々を過ごしている最中なのでありましたとさ。